[JM:02175] Re: である調、ですます調について

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matsuand michio_matsu****@yahoo*****
2021年 5月 1日 (土) 22:51:49 JST



matsuand と申します。元木様、返信いただきありがとうございます。


> ここまでが経緯で、個人的な印象を述べると、「ですます調」の場合、形容詞で
> 終わるときに少し違和感を感じます。例えば、「〜が小さい。」はしっくり来ますが、
> 「〜が小さいです」には違和感を感じます。
> 「です」は「だ」は丁寧語なので、「小さいだ」はおかしいですよね。
> この場面で「ですます調」と「である調」のどちらか一方を選べと言われたら、
> 自分だと「である調」を選びます。
> ここまでが一般論としての個人的の意見です。

「小さいだ」は仰るとおりオカしいですが、
正直申しますと、表現を尽くせばいろいろ表現できることですので、
「ですます調」をその部分だけ(?)で不採用にするのは残念に思います。
私は「ですます調」が **圧倒的に** わかりやすく親しみやすい文体であると
捉えているため、私はマニュアル類での「である調」は避けることを常としています。

> ある程度の統一感は大事だと思います。
> 既存の翻訳があるパッケージに対してであれば、既存のルールとあわせてください、
> ということになると思います。例えば、 LDP man-pages の翻訳で、一部が「である調」で
> 一部が「ですます調」だというのは、一番避けるべきことだと思います。
> 一方で、新規のパッケージであれば、その中で「である調」「ですます調」が
> 統一されていれば思っています。
> 
> 上記の指針は筋が通っているでしょうか?

統一感が大事という理由は、然るべく常に聞くところですが、
私はよくよく考えてみますに、誰にとっての統一感か、と疑念に思います。
これも正直申しまして、ユーザーにとっての統一感ではなく、編集サイドにとっての
統一感を重視しているものに思えます。

特定のマニュアルを読んでいて、その最中に「である調」「ですます調」が切り替わったり
したら、これはユーザーも大いに違和感を感じるのは明らかです。しかしパッケージの中だけ
では「である調」「ですます調」が統一されていれば、ユーザーは1つのマニュアルを読むだけ
であり、横並びに読み進めていくことは普通はしません。統一感を気にするのは
このようにユーザーではなく、編集サイドです。あっちでは「ですます」こっちでは「である」
と頭を切り替えて文章生成を行っていかなければならないため、混乱混同したりするからだ
と思います。かつこれまでが「である調」であることから、「ですます調」はおそらく
分が悪いのでしょう..

「ですます調」のマニュアルを一度読んだユーザーは、次に「である調」のマニュアルに
出会ったら、「今度のマニュアルは堅苦して読みにくいなぁ」と誰しもが感じるであろう
ことは、たぶん容易に想像できると思っています(私だけですか?)。
お叱り覚悟で正直に申し上げますが、私は man ページすべてを「ですます調」に変えたい

というくらいの勢いでご提案しています。その先陣として、近々に訳提案したいものを
ご提示するにあたって、「ですます調」での訳文としたいという思いです。


私の思いを上のように表しました。
各位につきまして、どのように感じられるか、お聞かせください。

matsuand
michio_matsuyama AT yahoo DOT co DOT jp



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