長南洋一
cyoic****@maple*****
2011年 2月 19日 (土) 12:38:35 JST
長南です。 man の man ページの翻訳者ではありませんが。 いわいさんのメールより [JM:00128] > > Vine LinuxのBTSで報告があった[1]のですが、 > > manual/man/original/man1/man.1 > --------------- > .TP > .B MANWIDTH > If > .B MANWIDTH > is set, its value is used as the width manpages should be displayed. > Otherwise the pages may be displayed over the whole width of your > screen. > --------------- > > が > > --------------- > .TP > .B MANWIDTH > .B MANWIDTH > を設定すると、その値を表示する man ページの幅として使用する。 > 指定しなかった場合には画面の幅一杯まで使用する。 > --------------- > > となっており、mayが訳出されていないようです。 法助動詞というのは、訳し方が難しくて、いつも苦労します。 間違っているかもしれませんが、要するに、発言内容に対する 発言者の態度を表現しているのではないかと、わたしは考えています。 たとえば、発言内容を事実そのものと考えているのか (この場合、 助動詞なしになります)。それとも、蓋然的なこと (may)、 可能的なこと (can)、そうあるはずのこと (must)、必然的なこと (または、そうあるべきこと) (shall, should) と考えているのか。 あるいは、自分の想像・推測 (will, would) なのかといったことです。 別の言い方をすれば、発言者の発言内容に対する自信の度合や、 気分を表現している、と言ってもよいでしょう。 なお、手元にある文法書 (「現代英語文法 - コミュニケーション編」 ジェフリー・リーチ、ヤン・スヴァルトヴィック著、池上嘉彦、 池上恵子訳、紀伊國屋書店) を調べたら、「ものごとのありそうな程度の 段階 (SCALE OF LIKELIHOOD) を表現するのに、法助動詞が使われる」 といったことが書いてありました。 ここで面倒なのは、「発言者の態度」なり「ありそうな程度」なりを 表現している言葉が、英語と日本語で一対一の対応をしているわけでは ないということです。たとえば、「may」の守備範囲は「かもしれない」 の守備範囲と必ずしも同じではありません。 それで、日本語に訳す場合、ときとして、訳さないのが一番適切だ ということもあります。この man の man はその例で、訳し忘れた のではなく、あえて訳さなかったのではないかと思います。 事実的に間違っていないならば、これはこれでよいのではないでしょうか。 あえて、should や may を訳出すると、こんなふうになります。 これだって、原文とぴったり一致しているわけではありませんけれど。 MANWIDTH を設定すると、その値を横幅にして man ページが 表示されるはずである。指定しなかった場合は、画面の横幅一杯を 使って man ページが表示されることになるだろう。 現行の訳の方が簡潔で、内容的にも十分でしょう (事実的に 正しければですが)。 原文の方が、自信のないというか、保険をかけた文章なんですね。 -- 長南洋一