[JM:00129] Re: man1/manの誤訳

Back to archive index

長南洋一 cyoic****@maple*****
2011年 2月 19日 (土) 12:38:35 JST


長南です。

man の man ページの翻訳者ではありませんが。

いわいさんのメールより [JM:00128]
> 
> Vine LinuxのBTSで報告があった[1]のですが、
> 
> manual/man/original/man1/man.1
> ---------------
> .TP
> .B MANWIDTH
> If
> .B MANWIDTH
> is set, its value is used as the width manpages should be displayed.
> Otherwise the pages may be displayed over the whole width of your
> screen.
> ---------------
> 
>> 
> ---------------
> .TP
> .B MANWIDTH
> .B MANWIDTH
> を設定すると、その値を表示する man ページの幅として使用する。
> 指定しなかった場合には画面の幅一杯まで使用する。
> ---------------
> 
> となっており、mayが訳出されていないようです。

法助動詞というのは、訳し方が難しくて、いつも苦労します。
間違っているかもしれませんが、要するに、発言内容に対する
発言者の態度を表現しているのではないかと、わたしは考えています。
たとえば、発言内容を事実そのものと考えているのか (この場合、
助動詞なしになります)。それとも、蓋然的なこと (may)、
可能的なこと (can)、そうあるはずのこと (must)、必然的なこと
(または、そうあるべきこと) (shall, should) と考えているのか。
あるいは、自分の想像・推測 (will, would) なのかといったことです。
別の言い方をすれば、発言者の発言内容に対する自信の度合や、
気分を表現している、と言ってもよいでしょう。

なお、手元にある文法書 (「現代英語文法 - コミュニケーション編」
ジェフリー・リーチ、ヤン・スヴァルトヴィック著、池上嘉彦、
池上恵子訳、紀伊國屋書店) を調べたら、「ものごとのありそうな程度の
段階 (SCALE OF LIKELIHOOD) を表現するのに、法助動詞が使われる」
といったことが書いてありました。

ここで面倒なのは、「発言者の態度」なり「ありそうな程度」なりを
表現している言葉が、英語と日本語で一対一の対応をしているわけでは
ないということです。たとえば、「may」の守備範囲は「かもしれない」
の守備範囲と必ずしも同じではありません。

それで、日本語に訳す場合、ときとして、訳さないのが一番適切だ
ということもあります。この man の man はその例で、訳し忘れた
のではなく、あえて訳さなかったのではないかと思います。
事実的に間違っていないならば、これはこれでよいのではないでしょうか。

あえて、should や may を訳出すると、こんなふうになります。
これだって、原文とぴったり一致しているわけではありませんけれど。

  MANWIDTH を設定すると、その値を横幅にして man ページが
  表示されるはずである。指定しなかった場合は、画面の横幅一杯を
  使って man ページが表示されることになるだろう。

現行の訳の方が簡潔で、内容的にも十分でしょう (事実的に
正しければですが)。

原文の方が、自信のないというか、保険をかけた文章なんですね。

-- 
長南洋一




linuxjm-discuss メーリングリストの案内
Back to archive index